|
|
●子供の練習始まりました |
●8月15・16・17日
三嶋大祭り |
|
|
|
|
大社町 山車 たいしゃちょう だし |
|
|
|
|
|
大社町が所有する山車は、かつては市ヶ原の山車でした。
1区から7区まである現在の大社町で1区2区にあたるのが市ヶ原です。
建造されたのは明治?年。
当初は、京都祇園祭で巡航するような山鉾(やまぼこ)型の山車だったということで、
その後、シャギリの演奏ができるような現在の形になったということですが、
定かではありません。
しかし、三島市内で最も古い山車であることは確かです。
そのため、舵取りは、最近の山車のようにハンドル式ではなく、レバーで行い、
レバーの前後への操作によって前輪を左右に切ります。
運転する人を手古と言い、字の通り、熟練を要します。 談:渡辺さん |
|
「鶏」と「諫皷(かんこ=諌鼓)」
山車の最頂部には木製の鶏を据えることができます。
取り外し自由で、支柱の上げ下げで高さを変えることもできます。
また、山車の正面入り口には「諫皷」と書かれた扁額(へんがく)があります。
何も関係ないように思える鶏と扁額ですが、実は古代中国に由来を求めることができ、
最近の山車には見られませんが
古い時代の山車には鶏が使われていたようです。
その由来とは・・・
太古の中国に3人の聖王がいました。大変すばらしい政治を行っていたため、国は豊かで国民も
幸せに暮らしていました。それでも、この王達は、自分達に過ちがあれば、
「いつでも諫(いさ)めてほしい、と城の前に太鼓を置いておきました。
これが諫める為の太鼓、すなわち「諫皷」と言います。
しかし、善政が行われているので、誰一人太鼓をたたくものはいませんでした。
そのため、太鼓には苔が生え、草花が咲き、鳥(鶏)が楽しく遊ぶ場所になったと言うことです。
これを「諫皷鳥(かんこどり)」と言って平和な様子を示す言葉となりました。
このように「鶏」と「諫皷」は切っても切れない間柄にあり、
しかも政治との関わりにも深いものがあります。
元々、祭り自体が古来、政治とは無縁のものではなく、
「政(まつりごと)」も「祭り事」から来ている言葉です。
ですから祭り太鼓は、為政者への庶民からの大いなる警鐘と言えるのではないでしょうか?
談:渡辺さん |
|
|
山車に太鼓を取り付けた様子 |
|
諫皷(かんこ=諌鼓) |
|
鯉 |
|
スズメ? |
|
スズメ? カッコウ
小鳥が遊ぶ=鬼無い=平和を意味するのでしょうか?
|
|
ニワトリつがいA オス立ち |
|
ニワトリつがいB |
|
鶴 |
|
木製車輪
この車輪には数々の思い出が・・・ |
|
丸棒ハンドル |
|
|